高河ゆんの経歴や学歴・プロフィールまとめ!

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二次創作の同人作家出身である高河ゆんさんがトレンド入りしています。

代表作に『アーシアン』『LOVELESS』『車田水滸伝 HERO OF HEROES』などがあり、コアなファンに大人気の高河さん。

本記事は、そんな高河さんの経歴や学歴・プロフィールをまとめました。

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高河ゆんのプロフィールは?

高河さんのプロフィールです。

  • 本名:山田理沙(やまだ りさ)
  • 作家名:高河ゆん(こうが ゆん)
  • 生年月日:1965年7月9日(2023年現在 57歳)
  • 出身:東京都品川区
  • 住まい:世田谷区
  • 血液型:B型
  • 夫:たつねこ
  • 子:一人娘
  • 職業:漫画家・同人作家
  • ジャンル:少女漫画、少年漫画、恋愛漫画、ファンタジー漫画
  • 代表作:『アーシアン』『ローラカイザー』『LOVELESS』『車田水滸伝 HERO OF HEROES』
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高河ゆんの学歴は?

高河さんの学歴です。

出身小学校は「品川区立後地小学校」です。

住所:〒142-0062 東京都品川区小山2丁目4−6

そして、中学校ですが、情報がありませんでした。

しかし、品川区から引っ越ししたという情報もなかったので、おそらく同区内の中学校に進学したのではないかと思います。そうなると・・・

  • 東海中学校
  • 大崎中学校
  • 浜川中学校
  • 鈴ヶ森中学校
  • 冨士見台中学校
  • 荏原第一中学校
  • 荏原第五中学校
  • 荏原第六中学校
  • 戸越台中学校

上記9校の内のいずれかの学校に通っていたのではないでしょうか?

中学校を卒業すると、「東京都立三田高等学校」へ進学します。

偏差値は「67」です。都内でも高偏差値の進学校ですね。

住所:〒108-0073 東京都港区三田1丁目4−46 三田国際ビル 18階

高河さんは高校2年生の時に留年してしまっています。

留年した理由はアルバイトと同人活動に明け暮れたしまったためだそうです。

それでも、頑張って3年生に進級しました。そして大学受験で上智大学法学部の入試に臨みますが、残念ながら不合格となってしまいます。

そのまま大学には進学していません。

高河ゆんの経歴は?

高河さんの経歴まとめです。

  • 1976年:小学5年生で初めてコミックスを購入する。記念すべき第一号は萩尾望都の『ポーの一族』
  • 中学生の時、車田正美公認ファンクラブに入会。
  • 1982年:コミックマーケットに初参加して同人誌を読む。
  • 1983年:同人サークルを作り同人誌の制作を始める。
  • 1984年:夏休みを利用してアメリカでホームステイし、ロサンゼルスオリンピックを観戦。後に『アーシアン』第1話に活かされる。
  • 1986年:同人史上で初のダンスパーティーを開催する。
  • 1986年:高校3年生時、同人誌を見た学習研究社からの依頼でコミックス『若草物語』を描き下ろす。
  • 1986年:『メタルハート』(光文社「コミックVAL」1986年11月号)で商業誌デビュー。
  • 1987年:『キャプテン翼』の二次創作同人誌『ASIA』を発行。同人時代の代表作とされる。
  • 1987年:同人業界に『魔王伝』ブームを起こす。
  • 1987年: 友人がウィングス編集部に同人誌『ASIA』を持ち込み、編集者にスカウトされプロの漫画家になる決意をする。
  • 1987年:『アーシアン』第2話「HONG KONG CHINESE」の取材に香港へ旅行。
  • 1988年:原画展「ASIA 1」
  • 1988年:マネージャー交代。千蔵マキから吉川千鶴へ。
  • 1989年:原画展「ASIA 2」
  • 1990年:アニメ映画『CAROL』のキャラクター原案に起用される。
  • 1990年より休筆
  • 1990年:原画展「ASIA 3」
  • 1991年より執筆活動再開
  • 1991年:原画展「TPC」(高河ゆん、おおや和美、田村由美、森丘茉莉)
  • 1993年:たつねこと結婚
  • 1993年:原画展「ASIA 4」(原画集販売)
  • 1994年より出産、育児休暇に入る。
  • 1995年:「コミックマーケット48」カタログ表紙を描き下ろす。
  • 1997年:原画展「5人のプロジン・アマジン展」(高河ゆん、武内直子、たつねこ、田村由美、萩原一至)
  • 1997年:『妖精事件』の取材にアイルランドへ旅行。
  • 1998年:原画展「高河・なるしま展」(高河ゆん、なるしまゆり)
  • 2000年:展覧会「【少女漫画の新しい展開】展」(大橋薫&楠桂、高河ゆん、なるしまゆり、くさなぎ俊祈)
  • 2002年:エニックスお家騒動に関連した一迅社設立に伴い『LOVELESS』の連載を『月刊Gファンタジー』から『コミックZERO-SUM』へ。
  • 2005年:『LOVELESS』テレビアニメ化
  • 2006年:西尾維新による初のオリジナル漫画原作『放課後、七時間目。』を漫画化。
  • 2007年:テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』のキャラクター原案に起用される。
  • 2008年:テレビアニメ『機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン』のキャラクター原案を手懸ける。
  • 2009年:ロサンゼルス・コンベンションセンターで開催されたAnime Expoにゲスト参加
  • 2010年:アニメ映画 『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』のキャラクター原案を手懸ける。
  • 2010年:「コミックマーケット78」において口蹄疫被害へのチャリティー同人誌製作企画に参加
  • 2010年:東京都青少年健全育成条例改正への反対表明を各所で幾度も出す
  • 2011年:西川貴教の企画したSTAND UP! JAPANにて東日本大震災チャリティーオークションに出品
  • 2011年:アニメイト主催Smile Heartにて東日本大震災チャリティーオークションに出品
  • 2011年:pakoと共同でテレビアニメ『UN-GO』のキャラクターデザインを担当する。
  • 2011年:アニメイト福島にて、東日本大震災の復興支援サイン会を行う
  • 2012年:「yyuunn」名義でPixivでの活動を開始する。

高河さんの同人時代は、漫画を一ヶ月に200ページ以上、多い時には600ページ近く描いていたそうです。

同人誌に対して、かなりの熱量を持っていたようですね。

また、エピソードも豊富にあり、1990年前後はたくさんの作品を描きたいがために栄養ドリンクと一緒に無水カフェインを5時間おきに飲む事があったようです。

そして、その副作用で乗り物酔いの状態になり酔い止め薬も服用しそれでも改善しない時は仰向けに寝て描いていました。

さらに、最終手段としてニトログリセリンを摂取し心臓にショックを与え目を覚ましていたという逸話があります。

どこまで真実かわかりませんが、これが本当であればスゴすぎますよね。

まとめ

本記事は、高河ゆんさんの経歴や学歴・プロフィールをまとめました。

同人作家出身の高河さんにはコアなたくさんのファンがいらっしゃいます。

是非、今後もたくさんの作品を世に送り出したほしいですね。

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