生野慈朗(しょうのじろう)の経歴やプロフィールは?【演出家】

トレンド
スポンサーリンク

2023年4月6日、TBS系連続ドラマ「3年B組金八先生」「2年B組仙八先生」などの桜中学シリーズや、「男女7人夏物語」「ビューティフルライフ」などのヒット作を担当した演出家・生野慈朗(73)さんが亡くなったという報道がありました。

生前、大人気作の演出家として有名だった生野さん。

そんな生野さんの経歴やプロフィールについてまとめました。

スポンサーリンク

生野慈朗(しょうのじろう)のプロフィールは?

生野さんのプロフィールについてです。

  • 氏名:生野慈朗(しょうの じろう)
  • 生年月日:1950年2月25日(享年73)
  • 出身:兵庫県神戸市
  • 最終学歴:慶應義塾大学経済学部卒業
  • 星座:魚座
  • 職業:TVディレクター・映画監督・演出家
スポンサーリンク

生野慈朗(しょうのじろう)の経歴は?

生野さんの主な経歴です。

生野さんは慶應義塾大学を卒業後、1972年にTBSに入社しています。入社後はテレビドラマのAD・演出補を経験しました。

1978年 ポーラテレビ小説「夫婦ようそろ」で演出家デビュー。

そして『3年B組金八先生』、『2年B組仙八先生』、『男女7人夏物語』なども担当しヒット作となった。

2000年 プロデュースも兼ねた木村拓哉・常盤貴子主演の『ビューティフルライフ』が大ヒット。

2006年 映画『手紙』で監督を務める。

次に、携わった作品をまとめます。

  • 夫婦ようそろ(1978年)
  • 3年B組金八先生シリーズ…第5・7シリーズ以外の6編に参加。スペシャル版も合わせて計37話分演出を手掛け金八参加ディレクターの中では最多。
  • 第1シリーズ(1979年)
  • 第2シリーズ(1980年)
  • 第3シリーズ(1988年)
  • 第4シリーズ(1995年)
  • 第6シリーズ(2001年)
  • 第8シリーズ(2007年)
  • ファイナル(2011年)
  • 2年B組仙八先生(1981年 – 1982年)
  • 3年B組貫八先生(1981年)
  • 無邪気な関係(1984年)
  • 輝きたいの(1984年)
  • 花田春吉なんでもやります(1985年)
  • 華やかな誤算(1985年)
  • もしも、学校が…!?(1985年、プロデュースも担当)
  • 男女7人シリーズ(テレパック制作)
  • 男女7人夏物語(1986年)
  • 男女7人秋物語(1987年)
  • 痛快!OL通り(1986年)
  • モナリザたちの冒険(1987年)
  • 痛快!ロックンロール通り(1988年)
  • 俺たちの時代(1989年)
  • パパとなっちゃん(1991年)
  • 結婚したい男たち(1991年)
  • 次男次女ひとりっ子物語(1991年)
  • ずっとあなたが好きだった(1992年)
  • 愛するということ(1993年)
  • 誰にも言えない(1993年)
  • スウィート・ホーム(1994年)
  • 長男の嫁(1994年)
  • 僕が彼女に、借金をした理由。(1994年)
  • 私の運命(1994年)
  • ジューン・ブライド(1995年)
  • 愛していると言ってくれ(1995年)
  • 最後の家族旅行 Family Affair(1996年)
  • ひとり暮らし(1996年)
  • 最後の恋(1997年)
  • 不機嫌な果実(1997年)
  • 織田信長 天下を取ったバカ(1998年)
  • ラブとエロス(1998年)
  • 天国に一番近い男・MONOカンパニー編(1999年)
  • L×I×V×E(1999年)
  • ビューティフルライフ(2000年、プロデュースも担当)
  • QUIZ(2000年)
  • 真夏のメリークリスマス(2000年)
  • Love Story(2001年)
  • First Love(2002年)
  • あなたの人生お運びします!(2003年)
  • オレンジデイズ(2004年)
  • 27歳の夏休み(2005年)
  • 今夜ひとりのベッドで(2005年)
  • 輪舞曲(2006年)
  • 孤独の賭け〜愛しき人よ〜(2007年)
  • SCANDAL(2008年、プロデュースも担当)
  • GM〜踊れドクター(2010年)
  • CO 移植コーディネーター(2011年)
  • 家族が家族であるために(2012年)
  • 松本清張没後20年スペシャル・寒流(2013年)
  • 女と男の熱帯(2013年)
  • 夜のせんせい(2014年)
  • 検事・霧島三郎(2014年)
  • いこかもどろか(1988年)
  • どっちもどっち(1990年)
  • 手紙(2006年)
  • 余命(2009年)
  • 食べる女(2018年)

*黄色の帯は映画。

こう見ると、本当にたくさんの作品に関わってきた人物ということがわかりますね。

しかも、人気の作品ばかりです。すごいですよね。

そして、演出だけでなく映画監督としても作品を残した生野さん。どの作品も評価が高いですよね。

生野さんは映画を撮る上でこだわっていることを明かしていました。

最近の映画は、JK(女子高校生)、イケメン、壁ドン、タイムスリップ、サスペンスなど分かりやすいアイテムを組み合わせて構成することが多いです。でも、実は映画というものの根幹にあるべきなのは“人と人のふれあい”ではないか、と思います。だって日常にそんな大きな出来事って、なかなか起こらないですから。そこらへんで躓いて転んだ、ということさえ、ものすごい出来事のように感じる、そんな誰しもが過ごしている日常の出来事や人間関係などさまざまな人生の綾をきちんとすくい取っていけば、ひとつのエンターテインメントになるはず。私が目標としているのは“人間っていいものだな”と思ってもらうこと。

生野慈朗(Jirou Shouno)氏: 面白かったと思ってもらうのがエンターテインメント。いつまでも人間の良さを描いていきたい | クリエイターズステーション (creators-station.jp)

人と人とのふれあいを大事にして撮影していたことがわかります。

人の機微を大事にしているからこそ、観ている人の心を動かす作品ができたのですね。

まとめ

生野さんの経歴やプロフィールについてまとめました。

経歴をまとめているうちに、生野さんは演出家としても映画監督としても優れた人物だったということがわかりました。

ご冥福をお祈りいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました