2023年4月2日、「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一さんが亡くなられたという報道がありました。
日本が世界に誇る音楽家であり、本当に残念ですよね。
本記事では、そんな坂本さんの経歴についてまとめました。
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坂本龍一の経歴は?
坂本龍一さんの経歴です。
- スタジオミュージシャンとして活動していたが、高橋幸宏と細野晴臣とともに1978年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成した。
- 1979年にリリースした1stシングル「テクノポリス」がいきなりヒット。このヒットを機に評価が上がる。
- 1982年に忌野清志郎と組んだ「い・け・な・いルージュマジック」がヒット。
- 1983年に映画「戦場のメリークリスマス」に出演。
- 1984年をもってYMOが活動休止。
- 1989年の映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックで、米アカデミー賞やグラミー賞など数々受賞。
- 1999年の「ウラBTTB」がミリオンセラーとなって、インストゥルメンタルとしては初のオリコン1位を記録。
- 私生活ではミュージシャンの矢野顕子と事実婚状態だった1980年に、長女でミュージシャンの坂本美雨が誕生。
- 1982年に正式に結婚したが、1993年に離婚した。
- 1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。
- 1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。ツアー終了後、YMO以来所属していた「ヨロシタ・ミュージック」から独立し個人事務所「トラフィコ」を設立。
- 1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりグラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞 作曲賞、アカデミー作曲賞[注 2]等を日本人として初めて受賞した。
- 1989年、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消しました。
- 1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。
- 1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家の鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。
- 1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。
- 1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。
- 1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。
- 1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。
- 2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelembaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。
- 2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。
- 2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。
- 2009年芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。
- 2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。
- 2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。
- 2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された。
- 2014年札幌国際芸術祭のゲストディレクターに就任。
- 2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表
- 2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開)の音楽で仕事復帰
- 2016年第25回モンブラン国際文化賞を受賞
- 2017年11月4日、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開。
- 2018年1月27日、自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開
- 2021年1月21日、2020年6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表
- 022年3月26日、東京・サントリーホールで行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。
- 2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした。同年12月11日に配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。
経歴を振り返ると毎年のようにアクションがありますね。
坂本さんの経歴は本当にすごいですよね。また、日本のみならず世界のミュージックシーンに影響を与える人としては今後坂本さんレベルの人は出てこないかもしれませんね。
また、坂本さんは2014年から闘病を開始しています。最初の診断がついた時は寛解しました。しかし、直腸がんと診断された20年6月には治療しなければ「余命半年」と告げられたそうです。
手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチ切除。両肺に転移したがんを摘出するなど1年で6回の手術を受けたそうです。
その後は外来通院をしながら化学療法を行っていたとのことです。
まとめ
坂本龍一さんの経歴を振り返りました。
同じ日本人として誇らしい、世界への貢献をしたミュージシャンだと思います。
ご冥福をお祈り致します。
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