高見のっぽの歌声がすごい?まるでミュージカル俳優のよう!

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2023年5月10日、NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなったという報道がありました。

ノッポさんといえば、しゃべらないでジェスチャーだけで意思表示をするというスタイルを確立し、お茶の間を賑わせてました。

そんな喋らないイメージを作り上げた高見のっぽさんですが、実は歌がとてもお上手でした。

本記事では、のっぽさんの歌についてまとめました。

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高見のっぽの歌声がすごい?まるでミュージカル俳優のよう!

高見のっぽさんの歌声を聞いてみて下さい。

ミュージカル調に語り掛けたり、歌を歌ったりしています。

その歌声がとても見事であり、「できるかな」でもそういうシーンを設けても良かったのでは?と思えるほどです。

そんなのっぽさんですが、様々な歌詞や楽曲を提供していました。

  • 「ぼくわるかった」
  • 「傷だらけのぼく」
  • 「シャワシャワシャワー」
  • 「雨のふる日はぼくゴリラ」
  • 「しんぞうのうた」
  • 「つみきのうた」
  • 「たまねぎにんじん」
  • 「おさんぽ」

これらは主に「ひらけポンキッキーズ」に対しですが、作詞を担当し楽曲を提供しています。

また、2005年12月からはNHK「みんなのうた」において、初の短編ミュージカル映画形式の「グラスホッパー物語」を歌っています。

「グラスホッパー物語」は上記の動画の曲ですね。

のっぽさんは、自ら脚本・作詞・歌唱・振付を手がけています。

そして、翌年DVD・CDで同曲をリリースしました。

71歳にして歌手デビューを果たし、異例の10ヶ月ロングラン放送を記録しています。

反響が大きかったため、2007年4月には楽曲第2弾「ハーイ!グラスホッパー」を「みんなのうた」で発表しました。

これだけ歌が得意なのっぽさんですが、昔から歌が得意だったのでしょうか?

高見のっぽはミュージカル出身?

のっぽさんの父親は芸人として活躍しており、その影響を受けたのっぽさんは芸で身を立てることを決意します。

キャバレーの営業から始め、まもなく日劇ミュージックホールに出演するまでになりましたが、、その後が続きませんでした。

25歳の時に心機一転して東宝ミュージカルスの研究生になります。しかし、大部屋俳優に慣れてはいかんとほどなく脱退しました。

たまたまバックダンサーとして呼ばれたNHKの番組『不思議なパック』のプロデューサーに気に入られ、新しく始まる番組『音楽特急列車』の司会を任されます。

そして32歳の時、NHK教育テレビ『なにしてあそぼう』(後の『できるかな』)のノッポさん役に抜擢されました。

元々のっぽさんは音楽に接して生きてきたといえますね。

これらの経験から、様々な楽曲の作詞や作曲へと繋がったのでしょう。

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まとめ

高見のっぽさんの歌についてまとめました。

色々な経験を経て「できるかな」に辿り着いたことがわかりました。

歌が上手いはずですよね。

そんなのっぽさんが亡くなられたのは本当に残念です。

ご冥福をお祈りします。

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